ジョージアのワイン職人vol.3

ジョージアのワイン職人
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若きワイン職人の肖像

恵み豊かなカヘティ地方のAlvani村

コーカサス地方の南側に、東西に広がるのがジョージアという国です。その真ん中よりちょっと東側の盆地のところに首都のトビリシがありますが、そこから車で2時間ほどさらに東に走ると、そこにはカへティ地方が広がっています。

カヘティ地方の風景。

カヘティ地方は、トビリシよりも少し標高が高く、コーカサスの斜面を流れ落ちる雨水が盆地に流れ込み、そこに肥沃な大地を形成しているので、自然の恵みがとても豊かなところです。

そんなコーカサスの麓より少し高いところに、ワイン用の葡萄は植えられます。なぜかといえば、ワイン用の葡萄は栄養がありすぎると甘くなってダメになってしまうからです。それよりも、水はけが良く乾燥していて、ちょっと栄養が足りないくらいの方が実がぎゅっと引き締まり、葡萄も小粒で味が濃くなるので、美味しいワインができるのです。

そのため、ジョージアの葡萄畑もたいてい盆地よりは少し標高の高い斜面に作られることが多いです。斜面に作られていると、水が流れ落ちていくので土が乾燥し、葡萄は根っこを地中深くにまで伸ばさなければなりません。その分、怠け者ではない、強く逞しい葡萄に育つのです。

その意味で、カヘティ地方にあるAlvani(アルヴァニ)村というところは、ジョージアの中でも取り分け葡萄作りに適しているところかもしれません。日当たりもいいのですが何より水はけが良く、土中の栄養は適度にはあるもののけっして多すぎはせず、その分葡萄は根っこを地中深くにまで張って逞しくなります。その小粒で身がぎゅっと引き締まった葡萄からは、実に滋味深い、奥行きのあるワインが生まれるのです。

そんなカヘティ地方にワイナリーを構えるのが、若きワイン職人Shota Lagazidzeさん(ショタ・ラガジーさん、以下「ショタさん」)です。彼の作るLagazi(ラガジー)というワインは、今やジョージアはもちろんヨーロッパにも数多くのファンを持ち、作ればすぐに売り切れてしまうほどです。そのうち、日本では気軽に飲めなくなる日が来るのではないかと危惧されるほど、人気のワインなのです。

ショタさんが生産するワインのLagazi(ラガジー)。
ショタさんのワイナリーで話を聞きます。

若きワイン職人を訪ねて

ショタさんは、なんとまだ20代の若者です。元々トビリシの大学に通っていた彼は、大学では観光学について学び、卒業後は観光関係の仕事をしていました。

しかし、学生時代にヴィノ・アンダーグラウンドというワインの店に出入りするようになると、そこで先輩ワイン職人たちと知遇を得て、自身もワイン造りに興味を持ち始めます。そして、ジョージア8000年の伝統を復活させようという彼らの試みに賛同し、自らも都会の安定した職を捨て、故郷に戻ってワイン造りを始めるのです。

彼がワイン造りを始めたもう一つのきっかけは、故郷がジョージアでも有数のすぐれた葡萄を産出する、前述したカヘティ地方に位置するということもありました。コーカサス山脈の麓で生まれ育ち、その自然の恵みを幼い頃からいっぱいに浴びて育ったショタさんにとっては、学生時代を過ごした都会を離れ、再び故郷の自然の中に戻っていくのはある意味当然のことでもありました。

ところが、ここまではよくあるUターン、あるいは昨今の若者の起業話のようにも思えますが、ショタさんはここからが違いました。なんと、ワイン造りに異様なまでの才能を発揮し始めるのです。ほとんど経験がなかったにもかかわらず、造り始めてすぐ、一流のワイン職人に勝るとも劣らないすぐれたワインを生み出し始めるのです。

なぜショタさんにそれが可能だったのでしょうか? 秘密を求めた我々は、ショタさんの自宅でもあるカヘティ地方のアルヴァニ村にある、彼の自宅兼ワイナリーを訪れました。

ショタさんのワイナリー。
笑顔で出迎えてくださいました。
いらるところに自然の恵みを感じます。
クヴェブリのオブジェ。

そこは、葡萄畑のある麓の斜面からは少し離れた、盆地の平野が広がる風光明媚な自然の中に、他の家々と一緒にきわめてさりげなく佇んでいました。一見すると、ここがワイナリーとは思えません。

ところが、その庭に入ってすぐ、ショタさんは庭に生えていた洋梨の木から、ちょうどいくつか残っていた実を、我々にくれました。

その洋梨を食べ、驚きました。ただ庭に一本生えているだけの、それほど手入れもしていない洋梨の実が、なんともいえず美味しいのです。それは、甘いというだけではありません。もちろん甘さもありますが、それが前面に出てこない。かといって、酸味が強いわけでもないのです。酸っぱくて食べにくいということは全くなく、それは甘みと見事な調和を為していました。

それだけではなく、身も硬すぎもしないと同時に柔らかすぎもしませんでした。幾分か繊維質が多いですが、噛むと歯の間から果汁がこぼれ落ちるくらいにはみずみずしい。手で食べたのですが、こぼれた果汁はけっしてさらさらと流れ落ちる訳ではなく、粘性があって手に残りました。それだけいろんな成分がそこに含まれているという証拠です。そこには、「太古の果物はこうだったのかもしれない」と想像させるに十分な、けっして現代の過剰に甘い果物からは味わえない、なんともいえない深みが感じられました。

ショタさんの友人、ザザさんがもいでくれました。
庭にたくさんの西洋なしが生えてます。

もしかしたら、ショタさんのワインの才能はここから来ているのもしれません。彼は、生まれたときから庭になっている洋梨をはじめ、豊かな食物を味わいながら育ってきました。しかも周囲には、カへティ地方の幽玄な景色が広がっていて、そこはかとない美を感じさせます。そういう美味しい食べ物や美しい景色が当たり前の世界で育ったからこそ、すぐれた美的感覚を育むことができたのです。そして、そのすぐれた美的感覚でワインを造るから、それは必然的に美味しくなったのです。

今回の取材で感じたのは、ワインは単に舌が良ければ作れるものではないということです。すぐれたワイン職人に共通するのは、いずれも「目」がいいことでした。審美眼が鋭いのです。

その鋭い審美眼で、葡萄の善し悪しを見分けたり、ワインの微妙な味加減を見極めたりするのです。そういう目の鋭さがなければ、古来より伝わる機械を使わない製法では、なかなか安定して美味しいワインを作ることは難しいのかもしれません。

ショタさんの美的感覚は、疑いようがありませんでした。訪れたそのワイナリーは、まず内装からして美しいのです。納屋の床をさらに深く掘って作った地下倉は、冷房を使っていないのにずいぶんと冷気を感じます。そしてその地下倉に埋め込まれた壁のレンガや配置された大小いくつかのクヴェヴリは、聞けば彼自身が仲間と一緒に作ったものだといいます。なんと彼は、ワイン倉まで自分で作ってしまったのです。

だからこそ、そこはショタさんの美意識が隅々まで貫かれ、趣のある茶室の中にいるようで、深い芸術的な感動を味わえました。けして大げさな言い方ではなく、そこは一種の美術館にも思えたのです。

木々の間を歩いて行くと、美しい扉が見えてきます。
地下のワイナリーへ進みます。
マラニ(ワインを製造する倉)はオレンジ色の暖かい色で満たされていました。
クヴェブリが地中に埋まっています。
ガーゼをそっとあけるとそこには出来たてのワインが。
クヴェヴリから直接抽出したものをいただきます。
香りと一緒に大切に頂きます。
マラニで特別な時間を過ごします。

ショタさんの作るワインの美味しさの秘密

さて、その美しいワイン倉を堪能した後、我々は隣接する試飲室へと招かれました。ワインのために温度こそ少し低めでしたが、このときはまだ秋だったのでひんやりする程度で、そこで夕方から彼の作ったばかりのワインを振る舞ってもらいました。

それとともに、彼は食事まで振る舞ってくれました。その食事は、これまで行ったどの一流レストランにも遜色のない、ワインに良く合うとても美味しいものでした。しかも、レストランのような華美さや濃い味つけはなく、家庭料理としかいいようのない質素ながらも骨太の味わいで、誰が作ったのかと尋ねると、なんと彼のお母さんが作ってくれたというのです。つまりその食事は、彼が子供の頃から味わっていたものでした。

ショタさんのお母様の手作り料理をいただきます。
LagaziのMtsvane 2017をいただきました。
琥珀色がとてもきれいです。
ジョージアの家庭料理で有名なヒンカリ。
どこのレストランよりも美味しかったです。
胡桃のペーストを使った料理。ジョージアの料理には胡桃がよく使われます。

この時点で、ショタさんのワインの美味しさの秘密は大半が解けました。彼のお母さんが作る料理の美味しさが、すぐれたワイン職人であるショタの才能を育んだのです。そして、彼を若くして一流のワイン職人に勝るとも劣らない存在に育て上げたのも、その環境によるところが大きかったのです。

恐ろしいことに、ショタさんはまだ20代です。彼のワイン人生はまだ始まったばかり。これからの伸びしろを考えると、彼のワインがどこまで美味しくなるのか、想像もつきません。

私たちは、今はまだ彼のワインを比較的気軽に飲むことができますが、いつの日か途方もなく高い値がついてしまって、そうそう気軽には飲めなくなる日が来るのではないかと危惧しています。そういう日が来てほしいような、あるいは来てほしくないような複雑な気持ちを抱きつつ、しかし今日このワインを飲めることの幸せを噛みしめるというのが、このラガジーというワインの最大の魅力といえるのではないでしょうか。

自然というのは、一期一会です。季節は巡りますが、同じときは二度と戻ってきません。

それと同じで、ショタさんのワインも、おそらく同じものは二度とないでしょう。だとしたら、今この瞬間を楽しむほかありません。ショタさんのワインは、そういう時の流れの無情さを感じさせてくれる、まさに「自然が育んだ」としかいいようのない一品でもあるのです。

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